人間は環境によって決定づけられているという認識
私は高校時代、ひきこもりであった。
先生が嫌いだから学校に行きたくなかったし、友達も少なかった。
なぜ自分はこんなひねくれた性格になってしまったんだろう?とよく考える。
私の両親は共働きで、幼少期から甘えることを抑えていた(ような気がする)
その甘えたい気持ちが「不登校」として形に出てしまったんだろうな、と正直思う。
だから
自分は悪くないんだと。
多分、今でも心の底では信じている。その心理学的決定論を信じたい自分がいる。
ただ責任から逃げたいだけではないか?
まずはどうにかしてこのパラダイムから抜け出さなくてはならない。
このパラダイムを抜け出すためにとても有用な武器となりそうなのが、
『人間は刺激と反応の間に選択の自由を持っている』というパラダイムだ。
主体性を発揮するため、今日から毎日、一日の目標を決めて生活してみようと思う。
(小さな約束事を決めてそれを守ることが、主体性を発揮することになる)
今日の目標①お昼ご飯を1時までに食べる
今日の目標②二時間以上勉強をする
今日の目標③バイトには10分前に行く
約束事①毎日目標を決める
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